この話は、ある巨大システムの鎮火に携わった時の話です。当時の仲間内でも、実は夢だったのではないかと思いたいくらい衝撃を受けた事も事実です。
私が、社会人としての自覚に目ざめ、理想と現実を考えるようになっていた頃、ある企業体の巨大システムが、火を吹いて、鎮火部隊をいろんな会社からかき集めていた時に、私も鎮火部隊に招集されました、この時には、それほどの事もないだろうと思っていたのですが、実際に現場にいくと、そりゃぁもう考えられないほどの激務が待っていました。
何故こんなになるまで、手を打たなかったのか?
鎮火部隊として招集された人間たちは誰もがそう考えました。
現場では、食事に行くことも許されない監視状態での作業が待って居たのです。
私達は、火消しに呼ばれたのですが、実際には火の中心を見る事が出来ません。要は、燃盛るビルから飛び火した近くの建物の火を、バケツリレーで消火活動をしているのです。また、ビルの炎は、刻一刻と勢いを増していくので、何れ自分達の担当している部分も飲み込まれているからっと言って、作業を休んでいると、自分達までもが、炎に飲み込まれるのです。
そんな虚しい作業を繰り返しているのですが、しかしやらないわけにはいかないのです。鎮火部隊として呼ばれている事から解るように、実際の中心部に居る部隊の掩護射撃をしなければ、冗談ではなく死人が出るのです。それだけは避けなければならないのです。その為に、結成された鎮火部隊ですので、鎮火部隊としては、最大限の努力をしていたのです。
鎮火部隊は、作業時間は、鎮火部隊の作業時間は、9:00 ~ 5:00(始発)までとなっていました。それを3つにわけて、交互に1 ~ 2時間ずつ食事と仮眠をとる為の、休憩が組込まれた作業体制で望みました。女性陣は、中休憩はなく 9:00 ~ 11:00 までで作業をおこなっていました。一応、部屋に帰る事も出来るので、それほど悪い作業体制では有りませんでした。
ただ、食事は一日 1 回で、仮眠と同時にしか許されていないので、食事と仮眠を天秤にかけると、仮眠を選択するのが人情でしょう。食事は、仕事しながらでも摂取する事ができますので・・・ね。幸いな事に、近くに病院があったので、倒れた場合でも、すぐに医者が来てくれる様にはなっていたようです。事実、中心の部隊では、点滴を打ちながら作業をした人が少なからず居ました。
そんな作業体制を、1ヶ月も過ぎると不思議と身体が慣れてくるのです。最初は、キツくて、9:00 にいけない日や、危なそうな日は、始発が出る時間帯から9:00 までを近くのビジネスホテルで休む事をしていましたが、それを行わなくても、仕事が出来る状態になっていたのです(ランナーズハイって状態に近いのかな)。身体が慣れて来た時・・・・そんな時に、
上の上の上から、とてつもない要求が出されたのです。仕様の根本を揺るがす様な事を、言って来たのです。その時には、火災の中心の火も目視出来る位にまで鎮火して、飛び火の心配がかなりなくなって来て、それぞれの鎮火部隊も自分の作業だけに専念出来るようになって来た時なのです。ゴールが見えて来たのです。
そんなタイミングで、火災の中心部に自分が安全な所にいながら、ガソリンの入ったタンクを置いてくれたのです。何時、タンクが破れて火災が大きくなるか解りません。また、仕様の検討をしなければならない事や、仕様変更の真意を問いただす意味もあり、全ての部隊に"作業の一時中断"命令が下ったのです。
それだけではなく、一時帰宅命令が下って、作業している全員に 0.5 ~ 2 日の休みが強制的に与えられたのです。私の所属していた、鎮火部隊には 2 日の休養が与えられ。皆が帰路に着いたのです。
確かに、久しぶりの休暇で、夕方の町を歩くのは本当に久しぶりだった。そんな時に、中心部隊のプロジェクトリーダが
『久しぶりに歩いたら疲れた。ちょっと休みたい』
すごくまっとうな事を言ったのです。近くに公園があるので、そこで少し休もうっとなったのです。そこで、すぐに帰って寝たい人と公園で少し休んで(実際問題として、その時の時間は、夕方の 5 時をちょっと回ったところで、帰宅ラッシュに巻き込まれるのを避ける意図もあった)から、帰宅しようと思った人に別れました、その時に、公園には私を含めて 18 名が残りました。
プロジェクトリーダが
『悪いんだけど、そこのコンビニで、人数分の何か飲み物と軽く食べられる物を買ってきてくれ。』
そういって、私を含めた若手数名に、財布を渡して自分は、公園のブランコに座ったのです。その時に、
『流石にちょっと疲れたから、寝ているかもしれないから、寝ていたら 1 時間たったら起こしてくれ』
そう言って、ブランコに座った途端、首を擡げて眠ってしまいました。財布を渡されて居たので、飲み物と食べ物を適当に買って、鎮火部隊のリーダが、座る為のレジャーシートを買って、戻ったのです。その時には、プロジェクトリーダは完全に眠ってしまったので、起こすのもかわいそうですので、各々の場所で過ごしたのです。
1 時間が過ぎ、ちょっと肌寒くなって来たので、プロジェクトリーダを起こして帰ろうかという話になったので、鎮火部隊のリーダが、プロジェクトリーダを起こしに行ったのです。その間に、若手でレジャーシートを片づけて、周辺のゴミをまとめて、コンビニのゴミ箱に捨てに言ったのです。その時・・・
『おい!救急車!いや、病院まで誰か走って、医者呼んで来い。医者・・・。』
リーダの声が、夕暮れも終わり、夜に入りかけている空に響いたのです。それも虚しく・・・。
プロジェクトリーダは、帰らぬ人になってしましました。その時の事を思い出そうとしても、思い出せるのは、夜に響いた救急車のサイレンと、虚しく響く、救急隊員の声、そして、近くですすり泣く、同僚たちの立ちすくんだ姿。
私がその時に何をして、何を感じたのかは自分でもわかりません。しかし、プロジェクトリーダが、死んでしまった事だけは把握できていたのだと思います。
次の日は、朝に連絡が来て、職場に緊急招集がかかったのです。当然と言えば当然ですね。しかし、その場に立ち会った人間で、翌朝職場に顔を出したのは、私を含めて、6 名だけだった、他の人間は、来なかった。そこで、昨晩の事が説明されたが、私の耳には届いていなかった。私は、その時・・・不謹慎な事は承知していたが、プロジェクトリーダが羨ましく思えて嫉妬心さえも感じていた。
その時にはっきり把握した事は、自分が選んだ道で死ねるのなら、もしかしたら幸せなのではないだろうか・・・私もそうなりたい。
結局、この件があったが、作業を停滞させる理由にもならないので、作業が予定通り再開することになった、プロジェクトリーダが抜けた穴は大きかったが、鎮火部隊のリーダが代理を務める事で、一応の決着を見た。
しかし、それ以上に痛手だったのが、その場に立ち会った、17 名の内、翌朝招集に応じなかった 11 名が全員辞めてしまった事にある。辞表を出す者も居たが、大半は次の日から、音信不通になり。部屋に尋ねていっても、顔を見せようとしなかったのです。その為に、人員の補充が必要になってしまったのです。
慣れてしまった仕事や職場では、気が張っている時には、気がつかないダメージが蓄積されていて、ふとした瞬間にそれが現れる。
個人の感覚の差だとは思うが、私は一度引き受けた仕事は、命ある限り遂行するのがプロだと考えている。それが、間違いだと言われても、私にはこの生き方しか出来ないのだろうと、この件から学んだ。
私は、会社人にはなれないかも知れないが、プロにはなりたいと思う。そう感じて、そう意識づけられた・・・。